宇都宮市出身で、作家の立松和平氏が8日、亡くなったことを受け、県内でゆかりのある人からは、素朴で飾らない故人の人柄を惜しむ声があがった。
立松さんは宇都宮高、早稲田大を経て宇都宮市役所に就職。同期入庁の宇都宮市緑、原田洽さん(62)は、仕事の合間に小説の構想メモを書いていたのを今でも覚えている。原田さんは「一晩中酒を飲んでも翌日は平気だったので体は丈夫なんだと思っていたが。やはり無理をしたのだろうか」と話した。
宇都宮市役所退職後には、市内の農家の男性をモデルにして80年に出世作となる小説『遠雷』を書いた。モデルとなった同市さるやま町、農業増渕貞雄さん(55)は「『遠雷』は私の青春の1ページを切り取ったかけがえのない作品だった。急すぎる死で信じられない」と絶句した。最近は年に1、2回酒を酌み交わす仲で、「昨年秋に会った時は元気そうだったのに。もっと彼の作品が読みたかった」と惜しんだ。
作家活動の傍ら、96年から始まった日光市足尾地区の植樹活動には毎年参加していた。一緒に植樹した「田中正造大学」の坂原辰男事務局長(57)が思い出すのは植樹の際に立松さんが語った言葉だ。「今はたかが木一本、されど一本の『貧者の一灯』。小さい力を積み重ねれば、何百年後には壊れた生態系が戻ってくる」。坂原さんは「1か月前はいつも通り元気だったのに、突然何で…」と言葉を詰まらせた。
立松さんは先月9日、宇都宮を訪れていた。市内の書店「ビッグワンTSUTAYA竹林店」でサイン会を開いた。30年来の親友だという同店の黒岩秀利副店長(55)は、どことなく元気のない様子が気になったという。黒岩さんは「栃木の文学界に大きな足跡を残した人だったのに。惜しい」と話した。同店は早速、追悼フェアを始めた。
40年にわたり、親交のあった民主党の谷博之参院議員は同月初旬、日光市の出版パーティーで会った。「特に変わったところはなかったのに。まさかという気持ちです」とショックを受けた様子だった。
(読売)
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