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(読売)外務省が7日に公開した1960年の日米安全保障条約改定に関する外交文書で、外務省が条約の適用範囲を「極東及び太平洋」に拡大する改定案を示し、当時の岸首相が懸念を表明したために却下されていたことが明らかになった。
公開されたのは、安保改定を前に日本政府内で行った協議を記録した58年10月18日付の文書。それによると、外務省の事務方は「締約国は、極東及び太平洋における平和及び安全の維持に共通の利益を有することを認める」と改定条約の草案を示した。外務省は米国の意向も受け、旧安保条約からの適用範囲拡大を提案したとみられる。
岸首相はこれに対し、「日本としては、米国と共に渦中に投ぜられることは覚悟しなければならないが、韓国、台湾の巻き添えになることは困る」と懸念を示した。安保改定に対する国内の激しい反対闘争を考慮し、「米国の戦争に巻き込まれる」との批判をかわす狙いがあったようだ。
この結果、改定安保条約の対象範囲は最終的に第6条で「極東」と規定された。現在の政府見解では、極東は「フィリピン以北と日本、その周辺地域」と定義され、韓国と台湾も含まれると解釈されている。
日本側は59年4月に条約の草案を改めて作成。「条約は、憲法上の規定に反する義務を課するものと解してはならない」と盛り込むよう米側に求めていたことも判明した。米側は難色を示したとみられ、現在の条約にこの記述はない。
また、68年5月の日米協議では、沖縄で行われる琉球政府の主席公選をめぐり、当時の三木外相がジョンソン駐日米大使に「野党が勝てば、沖縄に関する日米協力にも支障がある」と述べ、支援を要請していたことが判明。大使は「同感だが、米政府が正面に立てば逆効果もあり、米側は裏面から沖縄自民党に協力するべきだ」と述べるにとどめた。
◆旧安保条約=サンフランシスコ講和条約と同じ1951年9月8日に調印、52年4月28日に発効。第1条で条約適用範囲を「極東」としていた。米軍が日本の内乱を鎮圧できるなどと定められる一方、米国の日本防衛の義務が明記されないなど、不平等な色合いが濃かった。